当時、ニューヨークが好きで、よく行っていました。ちょうどその頃、ぴあで新しいコンセプトの雑誌を作ろうとしていました。キースは、当時の日本ではまだ知られていませんでしたが、新雑誌の表紙は迷わずキース・へリングにしよう、と思いました。
私はすぐにニューヨークに飛び、キースに会いに行きました。彼は、創刊される新雑誌「Calendar」の表紙に、自分の作品が使われることをとても喜んでくれました。その後、日本にも来てもらいました。雑誌の編集メンバーと一緒に企画の話をしていると、彼は話しているそばから次々と作品を描き続けるのです。キースはとても気さくで、最終的に「Calendar」に使われない作品もたくさん描いてくれました。彼にとって、絵を描くことは「会話」であり、「ひとり言」だったのかもしれません。